このブログでは初めましてですね、研修医の山中です。
ただいま外科・麻酔科で研修中です。
ルート確保や気管挿管は先輩医師や看護師さんに教えていただきながら頑張ってます。
8月に行われた「原水爆禁止2019年世界大会」に参加させていただいたので報告します!
今年の開催は長崎市で、8月7~9日の3日間でした。
山梨県からの参加者は計32名。甲府共立病院の研修医は私と谷本先生の二人で参加してきました。
羽田空港までバスで移動。朝6時半出発で遅刻しそうになりました(笑)
飛行機で長崎空港まで行ったら、そこからまたバス移動。
長崎市ってけっこう空港から遠いんですね…
とりあえずホテルに大きい荷物をおいて、会場の体育館へ路面電車で移動します。
別に某Dr.Kみたいな鉄道オタクではありませんが、レトロな雰囲気でちょっと楽しかったです。
初日の内容は、開会総会とその後の青年交流集会の二つでした。
開会総会は主催者と被爆者の方の挨拶に始まり、長崎市の田上市長や多くの海外の団体や政府の代表挨拶、他多くの方のこの大会に向けた熱いメッセージが続きました。
なぜ核兵器をなくさなければならないか、その思いを参加者で再確認し、共有する場であったと思います。
ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が中心となり核兵器禁止条約が2017年に122カ国の賛成多数で採択され、現在署名は70カ国、批准は25カ国となっています。50カ国の批准で条約は発効となり、核兵器は国際的に保持すること自体が禁止となるそうです。現在の国際情勢をみると、大国の軍備増強が再び活発化しているなど、核兵器廃絶に向けての道は難しいところに来ているのも確かです。しかし、被爆者をはじめとする多くの方の核兵器廃絶の思いが実る瞬間が確実に近づいている、そんな手応えを感じる開会総会でした。
その後、青年交流集会で被爆者の方と札幌で核兵器廃絶にむけた取り組みを行っている若者との対談を聞いた後、解散となりました。
閉店時間ぎりぎりで飛び込んだお店で長崎ちゃんぽんと皿うどんを食べてホテルに戻りました。暑い一日の終わりに金色の命の水を一杯、とてもおいしくいただきました(笑)
二日目は分科会で、市内のあちこちにわかれての行動でした。
私は被爆体験の継承を考える分科会に参加し、その一環として市内のお寺で住職の方にお話をうかがいました。そのお寺では、被爆直後に亡くなり野ざらしとなっていた遺骨を拾い集めて収骨堂に納め、毎月9日に欠かさず法要を行ってきたそうです。亡くなった方への慰霊というよりは、人間の愚かさを一人一人に問いかけるためにこうした活動をしているというお話が印象的でした。写真は収骨堂で、1~2万人の遺骨が納められているとのことでした。
お話しいただいた住職の方は終戦直後の生まれの方であり、直接の被爆体験をされているわけではありません。しかし、祖母や母親など多くの体験者の話を詳しく聞き理解しようとしているなかで、その経験を他の人に伝えることが出来るようになったとおっしゃっていました。これからの継承活動のヒントになる言葉だと思います。
3日目は8月9日、74年前長崎に原爆が投下された日です。
早朝に平和記念公園で各職場から託された千羽鶴を供え、手をあわせてきました。
その後は閉会総会です。
11時2分の原爆投下時刻には会場全体で黙祷が捧げられました。
被爆者の方の胸に迫る証言を聞き、核兵器はある日突然に市民の生活を奪い、被爆後も一生に渡って想像を絶する悪影響を及ぼし続けるということを実感しました。
開会総会に引き続き、閉会総会でも多くの海外からの参加者が発言されていました。来年はニューヨークでこの世界大会を開催する計画が進行中だそうです。核兵器廃絶に向けた国際的な活動の活発化を肌で感じました。
いろんな話を聞き、参加者と話をする中で一番強く思ったことは、なぜ他の生物兵器・化学兵器などの大量破壊兵器、クラスター弾、対人地雷などと同様に、無差別生・非人道性を重く見て核兵器を禁止にこれまで出来なかったのか、ということです。大国の外交上の重要な要素としてとらえられてきた経緯もあり、なかなか一筋縄ではいかない話とは思います。しかし、議論を重ねていけば核兵器の廃絶は達成可能な目標でもあると思いを新たにしました。
多くの方とともに平和について考える時間を共有できたことは、本当に貴重な楽しい経験でした。一緒に参加した方、送り出してくれた方に感謝します。
福砂屋と文明堂のカステラをお土産に買ってきて食べ比べしようと思っていたのですが、他人に配るのに夢中になって自分の分を取り忘れてしまったのが残念です。
結局どちらがおいしいのでしょうか?
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